海の欠片、時の欠片

 潮風に吹かれながら、小さなピンク色の欠片を太陽にかざすと、宝石にも負けないほどキラキラと輝く。

 その輝きと共に思い出すのは、今思えば眩しいほどの青春だ。

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「えっ!閉校!?」
「そう。閉校。二人が卒業すると同時に」

 なんでもないように言われた言葉は、津波に襲われたかのような衝撃があった。

「な、なんで……!って言うのは聞かなくてもわかるけど……」
「まぁ、むしろ良くここまで持ったねって感じだもんね……」

 私の言葉に同意したのは唯一の同級生、というより幼馴染の世羅 渉だ。

「今中学にいるのお前ら二人だけだしな。こうなるとは思っていた」
「せ、先生もここに通ったんでしょう!?無くなってもいいの!?」
「寂しさはあるけど仕方がないだろ」

 先生は眉を下げて寂しげにそう言うと、私を励ますように頭を撫でて、教室を出ていった。
 しんっとした教室でしばらく呆然としていると、渉が独り言のように口を開く。

「閉校、かぁ……島の人も悲しむだろうね……」
「うん……そうだね……」

 今では女子生徒一人に男子生徒一人とすっかり寂れてしまっているけど、この中学校ができたのは八十年以上前で、この島に住んでいる人のほとんどが、この中学校に通っていたと何度も聞いたことがある。
 嬉しそうに、懐かしそうに目を細めて、校舎を見る姿が見れなくなるのだと思うと、想像をするだけでも寂しくなってくる。
 だけど、中学生の私たちが閉校を止めるすべなんてもちろんなくて。それでも……

「閉校するまでになにか出来ないかな……」
「なにかって?」
「今までの卒業生巻き込んで卒業制作、とか……?」
「なくなるのに?」
「校舎がなくなっても後に残せるものってこと!」

 形に残せて、運べて、誰もが参加できて。
 わがままを言うなら、思い出を詰め込めるような、そんなもの。とは思うものの、何も思いつかなくて頭をひねらせていると渉がポツリと呟いた。

「絵とか、どう?」
「絵は確かに残せるけど……」
「ただの絵じゃなくて、シーグラスでモザイクアートみたいにするの、どうかな」
「え、シーグラスで……?」
「そう。この島では結構拾ってる人多いでしょう?渚は集めてるし」

 確かに私はシーグラスを集めている。
 それは何か意図があっての事じゃない。
 ただ、幼い頃からキラキラ光るものが大好きで、海に訪れてはキラキラ光る石を集めていた。
 小学生の頃、宝石だと思っていたその石がグラスだと知った時は落ち込んだけど、集めることを辞めようとは思わなくて、今に至る感じだ。

「今持ってなかったり、足りなくても探しに行けば見つけられるよ」

 そう言われると、渉の案は結構いい案に思えて、私たちの世代を超えた卒業制作はシーグラスアートになった。

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 私たちがシーグラスアートを作るという話は、あっという間に島中に広がって、登校中にシーグラスを預けてくれたり、学校まで持ってきてくれる人が多くいた。

 制作のために敷かれたブルーシートの上に、青や白、茶色といったシーグラスが敷き詰められて、その中から一つ一つ選び、接着剤でつけていく。
 地道な作業だけど、苦痛に思わなかったのは、シーグラスを持ってきた人達が、思い出話を聞かせてくれながら、手伝ってくれたからだと思う。

 兄弟と喧嘩をした日に拾った黒のシーグラス。
 失恋で泣いた日に拾った雫のような形をした物。
 友達とどちらが多く集められるか勝負をしたときの副産物。

 その人がシーグラスを拾った理由は様々で、色も形も、何ひとつとして同じものは無い。
 中には私のように趣味でっていう人もいたけど、シーグラスの数の分だけ思い出があって、毎日のように誰かの思い出話を聞いた。

 中でも一番印象的だったのは、杖を付きながらおじいさんが持ってきたシーグラス。
 おじいさんが持ってきたのは、綺麗な丸の形に整えられた青色と、珍しいピンク色のもの。
 こんなに綺麗なものをいいんですか?と聞けば、元はもう亡くなってしまった奥さんに贈った婚約指輪なのだと、穏やかな笑顔で告げられて、何を言えばいいのか分からなくなった私と渉に、おじいさんは悲しく思いなさんな。と笑った。

「当時は貧しくてね。お金が無くて、友人にこれを指輪にして欲しいと頼んだんだよ」
「そう、なんですね……」
「随分としまい込んであったんだけどね、この事を聞いて是非とも使って欲しい、と思って欠片にしてもらったんだ」
「でも……」
「私のと一緒に使ってやってくれないか」

 そっと差し出されたシーグラスを私が受け取れずにいると、渉が手を伸ばして、二つのシーグラスを受け取った。

「……大切に、使います」
「ありがとう。きっと彼女も喜ぶよ。彼女はイルカが好きだったから」
「……絶対素敵なものにするので、完成したら見に来てくださいね」
「あぁ、楽しみにしてるよ」

 またね、と言って背中を向けたおじいさんを見送って、作りかけのシーグラスへと目を向ける。 
 まだ半分しか形になっていないイルカ。この絵になったのは校長先生の提案でだ。

「……イルカは、幸運の使者なんだっけ」
「うん……」
「おじいさんにも、幸運訪れるかな」
「きっと、訪れるよ」

 渉の願うような優しい声音に、ゆっくりと緩んでいた涙腺がさらに緩んで、私は静かに涙を流し、渉は何も言わず、背中を撫でてくれた。

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  順調に進んでいた制作は、あと数箇所ということろでシーグラスが足りなくなり、私と渉は海へと通うようになった。
 学校が終わって、帰りに海へ寄る。
 そんな行動は小学生の時からしていたけど、こんなことが出来るのもあと何回なんだろう、とふと考える。

 私と渉は、あと二ヶ月もすればこの島を出て一人暮らしが始まる。
 この島には高校がないから、高校に行くとなれば自然とそうなるのだ。
 慣れ親しんだ風景も、関わる人も。全てが変わってしまう。
 そう考えると急に不安が襲ってきて、身体を震わせる。

「渚……?」
「あ、ごめん。大丈夫」
「……そっか?」

 何かを探るような目から逃れたくて顔を俯かせると、渉は何事も無かったようにまたシーグラス探しへと戻った。

 二人の間で交わされる言葉はないまま、波の音が私の耳を揺らして、時折吹く風がスカートを遊ばせる。
 そんな時間を数十分と過ごしていると、空の色が変わったことにふと気づいた。

 ゆっくり、ゆっくりと空をオレンジから赤に変えて、海の中へと沈んでいく太陽。
 その間も光の道は消えずに、ゆらゆらと不安定な道を作る。この光景だって、何度も見てきた。
 なのに、こんなにも綺麗だと、寂しい、と感じるのは、私が情緒不安定だからだろうか。

  もはや当初の目的も忘れて、夕日に魅せられていると、優しい手のひらに頭を撫でられて、顔を見上げる。

「……渉」
「うん、どうした?」
「……寂しいよっ……」

 この場所を離れることも、大切だった場所を無くすことも、当たり前だった関係が無くなることも。
 寂しくて、怖くて。
 もっとここにいたいと、心が叫ぶ。
 ゆらゆらと、海の上をクラゲみたいに浮かんでいるだけでよかったのに、十分、幸せだったのに。
 成長がそれを許してくれない。
 早く大人になりたいと願う日もあったけど、今はまだ子供でいたいと思うなんて、なんて身勝手なんだろう。

「……大丈夫。寂しくなったら連絡しよう」
「……新しい場所、怖い」
「うん。僕も怖い。でも、きっと何とかなるよ。イルカは穏やかな人間関係を作ってくれるらしいし」
「……うん……」

 私と渉。そして、同じ中学を卒業した卒業生へ贈る、校長先生からの最後のメッセージ。

 この先、まだ見ぬ場所で、穏やかな人間関係が作れるように、幸運が訪れるように。そんな願いを込めて、校長先生は私たちの卒業制作にイルカを提案してくれた。

 集められたシーグラスは、その願いに上乗せするように一つ一つ重ねられている。 

「……もう、大丈夫。弱音吐いてごめんね」
「これくらい全然いいよ。それより渚、手を出して」
「手?」

 不思議に思いながらも掌を差し出すと、コロンとしたシーグラスが手の上に置かれた。

「これ……」
「ピンク色は珍しいんでしょう?見つけたからあげる。それは今回使わないで取っておきなよ」
「いいの?」
「うん、お守りくらいにはなるでしょう?」

 サプライズ成功とでもいいだけに笑う渉をみて、少しだけ気分が向上した私は、お返しをしようと考えた。

 「ありがとう!今度私が見つけたら渉にもあげるね!」
「いや、ピンクはいらないかな……」
「えぇー、あっ!じゃあ渉が好きな黄色とか!」
「黄色のシーグラス、僕見たことないよ」
「うん。実は私も見た事ない。何度か探したんだけどね……」

 それこそ、小さい頃はよく探していた。渉が泣いた時とか、落ち込んだ時に好きな色のキラキラを渡したら元気になってくれるんじゃないかって、そんな可愛い発想だ。

「僕のために?」
「……違う」

 本当はその通りなのだけど、なんだか素直に認めたくなくて否定すると渉は小さく笑った。

「そっか。じゃあ二十歳の時の楽しみにしてようかな」
「え、なんで二十歳?」
「キリがいいかなって。それまでは僕、渚に会えなくても頑張るから」
「え、二十歳まで会わないの?」
「タイミングが合うか分からないでしょ」
「……それは、そうだね」

 タイミングを合わせて会おうよ、という言葉は何故か言葉にならず、海の底へと沈み、私と渉はゆっくりと自分の家へと足を向けた。

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 船の上で太陽に透かして、キラキラ輝くシーグラスを眺めていると、舌っ足らずな声が耳に届いた。

 「きらきら!きれい!」

 私が手に持つシーグラスを指しながらそう言ったのは小さな男の子。
 隣にいたお母さんは慌ててごめんなさい!と頭を下げたけど、大丈夫ですよと返して男の子の目線に合うようにしゃがむ。

「きらきら、きれいね」
「ね。綺麗だよね。砂浜の宝石だよ」
「……?ちょーらい」

 どんなものかは分からなくてもキラキラしたものが欲しいのは子供特有なのかもしれない。

 「ごめんね、これはあげられないんだけど、今から行くところにきっとあるよ」
「ほんとう?」
「うん。探してみて」

 そう言うと男の子はわかった!といってお父さんのところまで走っていった。

「すみません、ありがとうございました」
「いえいえ、旅行ですか?」
「はい。家族旅行で。幸せを運ぶイルカを見たくて」

 幸せを運ぶイルカ、という単語に思わず愛想笑いを返すと、あなたも旅行ですか?と問いかけられた。

「いいえ、私は地元なんです」
「そうなんですね!じゃあシーグラスアートの事もよく知ってますか?」
「いいえ、残念ながら」

 製作者の一人ですよ、とは言わずに、旅行を楽しんでくださいねと伝えて、懐かしい島へと目を移す。

 私と渉がシーグラスアートを作ってから早くも六年。

 あのアートが完成した日は、島の人が総勢で集まり、ちょっとした写真撮影会となった。

 六年という歳月の間に、私たちが通っていた中学校はホテルへと建て替えられて、シーグラスアートはロビーへと飾られている。

 窓から差し込む光を浴びて、キラキラと輝くイルカのアートは、一人の写真家がSNSへと投稿し、一時期話題になったりもした。

 作成者を知りたいという声も何度か上がっていたけど、作成者に関しては私と渉で決めていいと先生から連絡をもらって、不明のままにしてもらった。

 私たちは作品を作りたかったわけではなくて、あの場所で過ごした時間が確かにあったと残したかっただけだから、それでいいと思ったんだ。

 私と渉は、島を出てから今日まで一度も会っていない。連絡は取り合っていたけど、それだけ。 
 二人で会おうという話しになったこともない。

 それは、未来に不安しか無かったあの日に約束した、二十歳になったら会おうっていう約束が尾を引いていたのかもしれない。 

 二十歳になる年のこの日に、なんて約束はしていないのに、卒業式の日に合わせて故郷へ帰ることにしたのは、そうしないと後悔をするような気がしたから。

 渉から貰ったピンクのシーグラスの他に、私の手には黄色のシーグラスがある。

 このシーグラスはいつもの砂浜で見つけたわけでは無いけど、約束を守るには十分だろう。

 会わなくなってからの六年間の思い出話と、未来への願いを込めて君へ。



―――「海の欠片、時の欠片」藍葉詩依さまより